【悲報】米メディア日本の歴代MLBプレーヤーTOP10を発表!松井や野茂など意外な結果にネット騒然!
これまで、野球の最高峰の舞台、メジャーリーグでプレーした日本人選手は総勢68人。
先日アメリカメディア【ザ・スポーティングニュース】で、【日本のMLBプレーヤー歴代ベスト10が発表されました。納得の結果もあれば、一部のファンからは疑いたくなるような結果もあり、ネット上を騒がせました。
今回はアメリカメディアの日本人ベスト10ランキングを発表しながら日本人選手たちの活躍やネット上の声を見ていきましょう。
10位 佐々木主浩
佐々木といえば、代名詞の「フォークボール」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
最速154km/hの速球、フォークを武器とし、落差の大きいフォークで名だたる強打者たちを三振に仕留めてきました。
1989年、横浜大洋ホエールズに入団した佐々木は、1998年にシーズンMVPを獲得するなど、日本球界を代表するクローザーとして君臨。
そして2000年FAを行使し、マリナーズに移籍、メジャーデビューを飾ります。
メジャーでもクローザーとしての活躍が期待され、一時は中継ぎに降格するも、再び安定した投球でセーブを積み重ねます。
この年63試合に登板し、当時メジャー新人記録の37セーブを挙げると、1995年の野茂英雄に次ぐ日本選手2人目の新人王に輝きました。
翌2001年には、リーグ2位の45セーブを記録。
チームもメジャー史上最多タイ記録の116勝を挙げる飛躍のシーズンとなります。
その後も佐々木は3年連続、60登板、30セーブを達成するなど、クローザーとして見事な活躍を収めました。
通算成績は、228試合に登板し、防御率3.14、129セーブ。
メジャーの舞台で十分に通用したと言っていいでしょう。
9位 岩隈久志
9位にランクインしたのはシアトルマリナーズで活躍した岩隈久志。
2012年にアメリカに渡った岩隈は、2013年には14勝をあげ、サイヤング賞候補3位にランクインにされるなど、大活躍しました。
翌14年には15勝をあげ、154奪三振21四死球と抜群のコントロールを披露し、アメリカメディアでも、【この2年間の岩隈はまさしくメジャー最高のピッチャーの1人だった】と伝えています。
通算成績は63勝39敗防御率3.24。30歳を超えてのメジャー挑戦は今から考えれば遅い渡米ですが、非常に活躍した選手の一人といえるでしょう。
8位 田中将大
高校時代には「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹と、甲子園決勝の舞台で投げ合い、死闘を繰り広げました。
そんな田中は高校卒業後、楽天イーグルスに入団。
1年目から11勝を挙げ、新人王を受賞すると、渡米前の2009年から2013年まで5年連続で2桁勝利をマークするなど、球界を代表するピッチャーに進化を遂げます。
そして2013年、24勝0敗の驚異的な成績を収めると、チーム史上、初の日本一に貢献し、胴上げ投手というキャリア最高の1年を過ごしました。
同年オフにメジャー挑戦を表明すると、ヤンキースに加入。
2014年にメジャーデビューを果たし、1年目から13勝を挙げる活躍を見せました。
NPB時代に見せた圧倒的な支配力は影を潜めるものの、制球力を武器に堅実に結果を残していきます。
2014年から6年連続で2桁勝利を達成。
さらに2019年、オールスターゲームに初出場し、日本人史上初の勝利投手に輝きました。
田中はメジャーで7年間プレーし、78勝46敗、防御率3.74の好成績を記録しています。
メジャーリーグという世界最高峰のレベルを考えれば、文句なしの結果です。
名門ヤンキースで7年もプレーできたのは田中の実力の証明と言えるでしょう。
7位 上原浩治
1998年に読売ジャイアンツに入団した上原は、1年から20勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のタイトルを獲得し、投手4冠を達成。
また、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞も受賞するなど、大車輪の活躍を見せました。
そんな球界を代表するピッチャーになった上原は、2008年FA権を行使。メジャー挑戦を果たします。
2009年にオリオールズでメジャーデビューを飾ると、2年目以降は中継ぎとして活躍。
レッドソックスに移籍した2013年には、日本人ピッチャーとしては最長となる26試合連続無失点、メジャー歴代2位の37者連続アウトを達成します。
その勢いのまま、ポストシーズンでも快投を続けると、ポストシーズン史上最多タイとなる7セーブを挙げただけでなく
、リーグ優勝決定シリーズではMVPを獲得。
レッドソックスが世界一に輝いた瞬間、上原はマウンドに立ち、日本人初の胴上げ投手となりました。
メジャー9年間の成績は、436登板、95セーブ、防御率2.66と素晴らしいものでした。
そして上原は日米通算100ホールド、100セーブ、そして100勝の全てを達成した史上初の日本人投手となったのです。
6位黒田博樹
6位にランクインしたのは、ドジャースやヤンキースで活躍した黒田博樹。
1996年広島東洋カープに入団した黒田は、2005年に最多勝、2006年に最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、日本球界を代表する先発ピッチャーとして活躍しました。
2008年にドジャースに移籍し、メジャーデビューを果たすと、初登板初勝利を記録するなど先発ローテーションの一角として好投を続けます。
その後の試合では打ち込まれる場面もあったものの、1年目から9勝を挙げる活躍を見せました。
2012年に移籍したヤンキースでも、日米通算150勝を達成するなど、先発ローテーションに定着。
リーグ8位となる防御率3.32をマークし、自己最多となる16勝を記録しました。
また2010年〜2014年までの間、メジャー日本人最多となる5年連続2桁勝利をマーク。
メジャーの名だたる強打者たちを打ち取ってきました。
メジャー7年間での通算成績は、79勝79敗、防御率3.45。
日本球界復帰の際には、メジャー球団の1年20億円の大型オファーを蹴ってまで、古巣広島と年俸4億円で契約した黒田の決断には「男気復帰」との賛辞が送られることに。
ネット上でも【打線の援護があったら100勝はできた】【黒田の男気は歴代NO1】との声も。
そして引退後には、黒田の背番号15は広島の永久欠番に指定されることが発表されました。
さて、ここまで5名の選手を紹介しました。
皆さんが思う日本人選手はランクインしていますか?
5位発表を前に、ここで独断と偏見にはなりますが、番外編特別ランキングです。
番外編特別ランキング 田澤⤴純一
田澤⤴は日本のプロ野球を経由せず、アマチュアFAとしてメジャー球団と契約した初の日本人選手です。
田澤はドラフト上位指名が確実視されるなか、日本球界入りを拒否しメジャーリーグ挑戦を表明。
その挑戦は「田澤問題」と呼ばれるように。
そしてNPBはこの先も有望なアマチュア選手が海外に流出することを懸念し、ドラフト指名を拒否して、海外のプロ野球チームと契約した選手は、海外球団を退団した後も一定期間NPB球団と契約できない「田澤ルール」を設けました。
そんな球界を震撼させた田澤⤴はメジャーの舞台で見事成功。
主にレッドソックスで活躍し、メジャー9年間で388試合に登板、セットアッパーとして活躍しました。
特に2013年には、自己最多の71試合に登板し、25ホールドを記録。
上原とともに、世界一を経験しました。
それでは続きを見ていきましょう。
5位 松井秀喜
5位にランクインしたのは名門ヤンキースなどで活躍した松井秀喜。
高校時代、甲子園では5打席連続敬遠という信じられない伝説を作り上げ、プロ入り後も"ゴジラ"の愛称で親しまれた、平成を代表するスラッガーです。
1992年読売ジャイアンツに入団すると、首位打者に1回、本塁打王と打点王に3回ずつ輝くなど、長距離砲として君臨。
渡米前年の2002年には、なんと50本塁打を放ちました。
しかし、メジャーリーグでは最高でも2004年の31本塁打と、日本時代と比較すると中距離ヒッターの印象も。
それでも、メジャーで年間20本塁打以上を5回も記録しており、メジャーで20本塁打以上を放った日本人選手は松井と大谷だけです。
また、メジャー通算175本塁打は、日本人メジャーリーガーの中で歴代最多。
2009年には、優勝のかかったワールドシリーズ第6戦で6打点を記録し、日本人初のワールドシリーズMVPを受賞。
松井はニューヨークの英雄となりました。
名門ヤンキースで9年活躍できたのは、やはり、彼の実力のなせるわざと言えるでしょう。
以前お送りしたアンケートでも、松井を史上最強選手に推す声も多く、ネット上では【意外!】【ワールドシリーズMVPなのになぜ1位じゃないの?】【記録のイチロー、記憶の松井】など、反論が多数寄せられています。
メジャー10年間での通算成績は、打率.282、ホームラン175本 打点760となっています。
4位 野茂英雄
4位に選ばれたのは、ドジャースなどで活躍した【パイオニア】野茂英雄。
1989年、近鉄バファローズに入団した野茂は、最多勝と最多奪三振に4回ずつ輝くなど、日本球界を代表するピッチャーとして活躍しました。
しかし、1994年のオフシーズンに球団や監督との確執が生じると、野茂はメジャーリーグへの移籍を模索するように。
当時は現在のようなポスティングシステムがなく、メジャー移籍には困難が伴うも、代理人らが抜け道を見つけ出し、最終的に野茂は任意引退という形で近鉄を退団。
多くの批判が飛び交うなか、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。
「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームで、1995年に2人目の日本人メジャーリーガーとしてデビューを飾ります。
するとその年、いきなりオールスターの先発マウンドに立つ活躍を見せるなど、13勝を挙げて見事新人王を獲得。
この活躍により、メジャー挑戦への批判の声は徐々に静まり、むしろ「NOMOマニア」という言葉が日米で生まれるほど、野茂の人気は高まっていきます。
その後もノーヒットノーランを2度達成するなど、日本人投手では唯一のメジャー通算100勝を達成。
さらに最多奪三振のタイトルを2度獲得するなど、三振率の高さから「ドクターK」の愛称で親しまれました。
メジャー12年間での通算成績は、123勝109敗、1918奪三振。
野茂の活躍には、今でも多くのファンが感動し、日本人選手がメジャーに渡るきっかけを作りました。彼のメジャーでの活躍はまさしく【パイオニア】。彼がいなければ今の日本人選手の活躍はなかったでしょう。
ネット上でも、【野茂がいなかったら今の日本人の活躍はない。絶対1位】【パイオニアが4位はおかしい!】など、多数の反対意見も寄せられました。
日本人の活躍が当たり前になってきた現在ではありますが、メディアで袋たたきにあいながら海を渡り、大活躍、道を切り開いたパイオニアとしての彼の功績は永遠に不滅です。
3位 ダルビッシュ有
2004年ドラフト会議で日本ハムファイターズに入団が決まると、2年目から開幕ローテーションに定着。
同年12勝を挙げると、翌2007年シーズンは初の開幕投手とオールスターへの初出場を果たしました。
この年、15勝5敗、防御率1.82という好成績を残したダルビッシュは自身初の沢村賞を獲得。
また、最多奪三振、ゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞したほか、パ・リーグのシーズンMVPに選出されるなど飛躍の1年となりました。
以降、5年連続で防御率1点台を記録し、まさに無双状態。
そんなダルビッシュは、2021年ポスティングシステムを利用しメジャー挑戦を表明します。
2012年より海を渡ると、レンジャーズでのメジャー1年目から16勝を挙げて新人王投票で3位に輝きました。
さらに2013年には、初登板で完全試合まであと1人に迫る好投を見せ、この年リーグ最多の277奪三振でサイ・ヤング賞投票においても2位に入りました。
さらに、2020年には日本人初の最多勝を獲得。
メジャー10年間での成績は、95勝75敗、奪三振数は1788という素晴らしい数字を残しています。
WBCでもチームリーダーとして、侍ジャパンの世界一に大きく貢献。
メジャーリーガーながら代表合宿初日から合流すると、そのリーダーシップ・人間性も高く評価されました。
ダルビッシュの活躍には【納得】というネット上の意見もありましたが、【松井や野茂のほうがまだ上】という意見も多数寄せられていました。
ダルビッシュのこれからの活躍にも期待しましょう。
2位 大谷翔平
大谷があのベーブ・ルース以来の“二刀流”をメジャーリーグで成功させてることはもはや誰もが認める伝説的偉業です。
高校卒業とともに、メジャー挑戦を表明していた大谷。
ところが、2012年ドラフト会議で日本ハムファイターズが大谷を強行指名すると、4度にわたる交渉を経て入団が決まりました。
二刀流に対しては賛否両論があるなか、大谷はすぐに結果で周囲を黙らせます。
プロ2年目の2014年には11勝、10本塁打でNPB史上初となる"2桁勝利・2桁本塁打"を達成。
2016年には、これまたNPB史上初となるピッチャーと指名打者の両部門でベストナインを受賞し、リーグMVPに選出される異次元の活躍を見せました。
そして2017年シーズンオフにポスティングシステムを利用し、ついに夢の舞台メジャー移籍を実現させます。
MLB27球団が大谷獲得に乗り出す争奪戦の中、最高の環境で二刀流に挑戦するため、大谷が選んだのはロサンゼルス・エンゼルスでした。
2018年にメジャーデビューを果たした大谷。
ピッチャーとして4勝、バッターとして22本塁打をマークし、日本人史上4人目の新人王を受賞しました。
そして、2021年シーズンでは、9勝に46本塁打と異次元の活躍で、イチロー以来となる日本人史上2人目のシーズンMVPとシルバースラッガー賞を獲得。
ファン投票などで選ぶ「オールMLBチーム」の発表では、指名打者部門で「ファーストチーム」、先発投手部門で「セカンドチーム」に選ばれ、2部門同時受賞は史上初の快挙となりました。
さらに2022年は、15勝、34本塁打を記録し、ベーブ・ルース以来約104年ぶりの二桁勝利と二桁本塁打を達成。
投打の両方で規定回数に達した史上初の選手となったのです。
2年連続MVPは逃したものの、サイ・ヤング賞の投票では4位、そして2年連続「オールMLBチーム」に2部門で選出されました。
さらに、3月に開催されたWBCに初出場を果たすと、史上初の二刀流で出場し、2009年の松坂大輔以来となる大会MVPを獲得。
二刀流で見せた歴史的活躍は後世(こうせい)に語り継がれていくことでしょう。
ネット上では【なぜ大谷が1位じゃないのか?】【二刀流はべーブルース以来の歴史的快挙】【大谷が歴史を変えた】【比較するまでもなく1位】との批判も多数寄せられていました。
そして2023年シーズン。今シーズンも開幕から絶好調。防御率は第1位です。
どんな偉業を成し遂げるのか、世界中が注目しています。
1位 イチロー
栄えある第1位に輝いたのは、日本が世界に誇るヒットメーカー、イチローです。
1991年、オリックス・ブルーウェーブに入団。
プロ入り当初は2軍生活で自身の代名詞「振り子打法」に磨きをかけると、プロ3年目に就任した仰木彬監督のもとその才能が開花します。
史上初となるシーズン200安打、7年連続の首位打者を達成。
一気に日本球界を代表するバッターとして成長を遂げました。
そんなイチローは2000年のシーズンオフにポスティングシステムを利用してメジャー挑戦を表明します。
2001年マリナーズへ加入し、日本人野手初のメジャーリーガーとなったイチロー。
日本人バッターがメジャーで通用するのか疑問視する声もあがるなか、開幕からヒットを量産し、オールスターゲームに選出される活躍を見せます。
そしてメジャー1年目にして、打率.350、56盗塁をマーク。
いきなり首位打者と盗塁王のタイトルに輝き、史上2人目の新人王&シーズンMVPのダブル受賞を果たしました。
さらに、この年から始まった驚異の記録、10年連続シーズン200安打は、今も破られていない史上最長記録です。
また、2004年にはシーズン262安打を放ち、84年ぶりにメジャー記録を更新し、最終的に262安打を放つと、驚異の打率.372で2度目の首位打者を獲得。
2016年にはアジア出身選手として初めてメジャー通算3000安打を達成しました。
さらにイチローの偉業は、NPBとMLBを合わせた通算4367安打で、ギネス世界記録にも認定。
メジャー19年間の通算成績は、打率.311、本塁打117、打点780、盗塁509、安打数3089と、圧倒的な数字を誇ります。
メジャーリーグの日本人野手としてパイオニア的な存在のイチロー。
打撃センスがフォーカスされがちなイチローですが、守備でも自慢の強肩と正確な送球を武器に、これまでライトでシーズン最多刺殺を7度記録。
相手チームのチャンスの芽を摘む鋭い送球は「レーザービーム」と称されました。
その高い守備力により、2001年から10年連続でゴールドグラブを受賞。
バッティングだけでなく、守備でも数多くの場面でチームを救ってきました。
ネット上でも、【大谷はイチロー以上】【あと何年か経てば大谷が逆転する】という声も多数ありましたが、【イチローの記録は不滅】【記録のイチロー、記憶の大谷】【イチローはメジャーNO1プレーヤー】という絶賛の声が圧倒的。
まさに伝説の名選手、イチロー。
今後これだけの安打製造機が果たしてメジャーリーグで出てくるのでしょうか?イチローが世界に与えたインパクトはまさしく歴代NO1といってよいでしょう。
今回は日本人メジャー成功ランキングを紹介しました。
見ての通り松井とイチロー以外全員ピッチャーです。
そんななかバッターとして、イチローが残した数々の記録と稼働年数は、MLBにおける歴代最高の日本人選手と思いますが、大谷とイチロー、どちらがすごいかは、皆さんの見解もいろいろあるかと思います。
皆さんのご意見をぜひコメントで教えてください。それではまた、次の動画でお会いしましょう。