【驚愕!】大谷翔平の幼少期がヤバい!
野球最高峰の舞台メジャーリーグにおいて、投打の二刀流で大活躍をおさめる大谷翔平。
今シーズンもピッチャーでは開幕投手を務め、バッターでは2試合連続の特大ホームランを放ちました。
そんな大谷は、幼少期をどのように過ごしてきたのでしょうか。
異次元の活躍に迫るべく、今回は幼少期の大谷を紹介していきましょう。
小学3年生で150キロの速球に挑戦!
小学3年生から「水沢リトルリーグ」で野球を始めました。
休日の練習後には、車で約15分のところにあるバッティングセンターにチームメートと訪れていたといいます。
当時からその才能は群を抜いており、小学3年生にしていつも利用していたのは、センター内で最速の150キロの速球を打てる打席。
オーナーの小林長男さんは、
「この打席は、ランダムに速度を変えられる『実戦』も選択できる。野球少年にとって勉強になると思って取り入れたんです。『大谷君が使っていたから』と来店する子も多い」と、現在では大谷ファンに愛される大人気のケージだといいます。
幼い頃からプロのピッチャーが投じるほどの速球で鍛え上げられた大谷のバッティング。
野球経験者の大人ですら、150キロの速球を打ち返すのは至難の業であり、小学3年生で打ち返す大谷の凄さが改めて伺えます。
ところが、小林さんによると「特別目立っていたわけではなかったよ。お兄ちゃんの龍太君の方が目立ちたがりでバッティングも光るものがあったように思えたし、大谷君はとにかくおとなしい少年のイメージが残っています」と、当時の意外な大谷のイメージを明かしていました。
驚異の小学5年生!球速110キロの天才少年が登場
チームの監督を務めるのは父・大谷徹さん。
父のもとで鍛え上げられた大谷は、小学5年生のときに球速110キロを計測するようになっていたといいます。
6年生でも100キロを投げられたらかなりのスピードです。
そんな中、5年生で既に110キロを投げていたのですから、早くもポテンシャルの高さを見せつけていました。
当時バッテリーを組んでいた佐々木遼輔さんは、「翔平のボールを初めて受けたときのことは、はっきり覚えています。正直、ものすごく怖かった。ストレートがあまりに速すぎて、まったく捕れなかったんです。岩手の冬は雪が積もるので、暗い屋内練習場でのピッチング練習だったこともありますが、球が全然見えず、まるで練習になりませんでした」と大谷の豪速球には手を焼いていたといいます。
それもそのはず。
リトルリーグにおいて、ピッチャーからキャッチャーまでの距離は、約14mと非常に短く、この距離で110キロのボールを投げられれば、キャッチャーの体感速度は130キロを超えるのです。
まだ小学5年生の佐々木さんが恐怖を感じるのも当然のことでした。
佐々木さんの父もリトルリーグでコーチを務めており、居残りで5メートルほどの距離からボールを投げ込んでもらったそうですが、最後の最後まで、大谷の球をミットの芯で捕ることはできなかったそうです。
【衝撃】父が明かす!少年時代に魅せた圧巻の場外弾
中学校に進学した大谷は「一関リトルシニア」に所属。
ここでも父・徹さんがコーチを務めていたといいます。
大谷はエースとして活躍し、直球のスピードは130キロを超え、さらなる進化を遂げていました。
また、バッティングでも中学1年生のときに、とてつもない伝説を残しています。
それは遠征先の福島県でのこと。
大谷が放った大きな当たりは、センターオーバーの特大ホームラン。
場外まで飛んだその打球は、なんと信号機を直撃し、信号機が壊れてしまったというのです。
その推定飛距離は驚愕の120メートル以上。
プロでもホームランが出にくいと言われる札幌ドームでもスタンドインできる飛距離なのです。
これに父・徹さんは「福島県相馬市の沿岸部にある野球場でした。翔平が放った打球は場外に飛び出し、道路の歩行者信号を直撃し、ぶち壊してしまいました」と振り返り、これまで目撃した中で、一番大きなホームランだったと明かしていました。
このホームラン以外にも、よく場外弾を打っていた大谷。
WBCの練習では、ドームの最上段に叩き込むホームランを放ったり、エンゼルスでは場外ホームランを打って車にぶつけていたこともありました。
そんな大谷は、中学生の頃から異次元のパワーを発揮していたのですね。
大谷翔平の活躍の秘密は「睡眠力」
「小学生のころは毎日夜9時から朝7時まで寝ていた。昼寝もしますし、半日くらい寝ていたかもしれない」と、幼い頃からしっかり睡眠をとってきた大谷。
その甲斐もあり「寝る子は育つ」の言葉通り、193センチの恵まれた体格が出来上がったのです。
大谷の睡眠の特徴の一つが、「つねっても叩いても起きない」という熟睡ぶり。
母・加代子さんは、「幼稚園や小学校の低学年ぐらいまでだったと思いますけど、学校から帰ってお友達と外に遊びに行く翔平は、夕方に家に帰ってくると体力を全部使い果たしている感じで、ソファで寝てしまうことがよくありました。私が夕飯の支度をしていても、まったく起きない。寝始めると本当に起きなくて。結局、お父さんに寝室まで運んでもらって、そのまま朝まで寝てしまうことが週に何回もあった時期がありました」と語っています。
アスリートにとって、肉体の疲労回復や成長、メンタル面の安定にも関わる「睡眠」。
二刀流で長いシーズンを戦い抜く身体づくりは、現在もこだわってる「睡眠」があってこそなのかもしれません。
水泳でもオリンピック選手級の才能
大谷は幼少期からさまざまなスポーツを経験し、野球を始める前には、水泳やバドミントンを習っていたといいます。
その中でも特に水泳に力を入れており、幼稚園の年長から小学校5年生まで、スクールに通っていました。
そして、甲子園の常連校である「花巻東高校」に進学した大谷。
野球部のオフシーズンに取り入れていたのが、肩甲骨周りの可動域を広げるための水泳トレーニングだったそうです。
水泳ではバタフライなどを泳ぐために、肩を大きく回す必要があります。
その動作が、肩や背中の筋肉、関節の可動域を強化するのに適しているということでした。
そこで大谷が見せた泳ぎに、水泳部のコーチは「水泳でオリンピックを目指せる!」と驚愕。
運動神経の高さを見せつけました。
この一連のエピソードは、米メディアでも大きな話題に。
エンゼルスの地元紙『LA Times』のディラン・ヘルナンデス記者は、花巻東の佐々木洋監督から聞いたエピソードとして、「オオタニは泳ぐのも突出して速い」と紹介。
「彼の高校時代の恩師である佐々木監督は、『トレーニングの一環で水泳をやらせているが、オオタニは泳ぐのが本当に速い。水泳部のコーチもオリンピックを目指せると言っていた』と聞いた時、私は『これはきっとジョークだ』と思って、その場は笑ってやりすごし、そのエピソードを取り上げなかった。でも、掲載すべきだったね。ササキ監督はおそらく本気だったんだ。オオタニは本当になんでもできるのさ」と驚きを隠せませんでした。
もし大谷が野球ではなく、水泳を極めていたら...どのような世界線を見せてくれたのでしょうか。
世界最強のスイマーとして、世界記録やオリンピック金メダルも夢ではなかったかもしれません。
今回は、大谷の幼少期にあった驚愕のエピソードを紹介しました。
連日メジャーの舞台で大活躍の大谷ですが、その凄さは幼少期から持ち合わせていた抜群の運動神経やコンディション管理があってこそなのかもしれませんね。
他にも幼少期の大谷のヤバいエピソードを知っている人がいたら、ぜひコメントで教えてください。
それではまた、次の動画でお会いしましょう。